日本中に「千の風になって」旋風を巻き起こした秋川さんが、遂にCO-KEYと初対談!
四国で過ごした学生時代・音楽・故郷の祭りの話までたっぷりと拡大版でお届け!!

愛媛時代

CO-KEY(以下C): いや~、ずっと同じ四国出身の方と対談したかったので、今回は遂に愛媛出身の秋川さんと対談できて嬉しいです。今日はよろしくお願いします!

秋川雅史さん(以下A): こちらこそよろしくお願いします!

C:
ではまず、秋川さんの故郷について軽く教えてもらえますか?
A:
故郷は愛媛県の西条市です。西条祭りという祭りで有名な街で、現在は合併して11、2万人の都市です。愛媛では松山、今張についで3番目に大きな市です。
C:
はいはい。新居浜にも近い、場所的にはわりと徳島・香川よりの東側ですよね?
A:
そうですね。逆に、同じ愛媛でも宇和島へ行こうとすると4時間くらいかかる、そんな場所です。
C:
そこで高校卒業まで過ごされたそうですが、学生時代はどんな生徒だったんですか?
A:
幼稚園に入るまではすごくおっとりしてて、親から言わせると全く手のかからない子だったそうです。それが、幼稚園に入るとやんちゃな友達が出来て、そこから急に変わり始めて、小・中・高校まではずっとやんちゃ期間でしたね・・・。
C:
長~いやんちゃ期間ですね!?(笑)
A:
えぇ。(笑) 僕には2つ上の兄がいるのですが、兄は逆に幼稚園入るまでは手のつけられないやんちゃだったのが、幼稚園に入るとピタッと止まりまして、すっかり優等生になり、僕と逆転してしまいました(笑)
C:
ヘ~。でも、そんなやんちゃな秋川さんが、なぜ音楽の道に行かれたんですか?
A:
最初は音楽家であった父の勧めでバイオリンを幼稚園から始めて、中2までやってたのがきっかけです。嫌々でしたが・・・(苦笑)
C:
嫌々!?
A:
ええ。まあ、今振り返ると、あの時バイオリンを嫌でもやっておいて良かったな、と思いますが、当時はもっと普通の男の子の遊びをしたかったから。
C:
分かります!僕も小学校の時に、ピアノをやっていた姉の延長でエレクトーンを習わされたので。なんか当時、そういう音楽系は女々しいイメージがあって、同級生に習っているって事をバレたくなかったですもん。
A:
ですよね。結局僕もバイオリンをやっているのは皆なんとなく知ってるんだけど、あえてその話題はしなかったですねぇ。
C:
でも、それを中2まで続けたのが凄いですよね。
A:
続けたというよりも続けさせられたんですよね、厳しい親だったから。ただ、一方で、僕の中では厳格な父を見ていたので、世間のイメージと違い、クラシック音楽というのはホントはすごく男らしく、カッコイイものだという印象もあったんですよ。それは今、クラシックの歌い手として伝えていきたい要素の一つとして繋がっていますね。
C:
なるほど。たしかに、料理や音楽の世界って突き詰めていくと男性の方もたくさんいらっしゃいますよね。
A:
そうなんですよ。
C:
そんな中、バイオリンから歌の方にいつごろ切り替わっていったんですか?
A:
もともと中学に女性コーラス部があったのですが、僕が中3の時、混声合唱部になるという事で、当時の音楽の先生が、声楽家・秋川先生の息子だから絶対歌えるだろう!と強引に勧誘されて合唱部に入ったタイミングですね(笑)
C:
ハハハ(笑) もう先生の中では最初から決まってたんですね。でも、実際にそれまでお父様のを見たりして歌ってみた事はあったんですか?
A:
それが全くなかったんです。
C:
では、初めて歌ってみてどうだったんですか?
A:
これがね、最初勧誘された時は複雑な思いで、半分は当時やっていたバレーボールに専念したいという気持ちと、もう半分はお父さんみたいに僕も歌ってみたいって気持ちと・・・。
C:
それで、初めてみたら?
A:
すっかりはまりました(笑) それからしばらくして、当時まだ中3だったのですが、自分は高校卒業したら東京の音楽大学に行こうと決めました。
C:
おお~、それはやはり運命ですねぇ。けど、高校はまだ地元だったんですよね?
A:
そうです。小松高校というところです。
C:
そこは音楽とは関係あったんですか?
A:
いいえ。合唱部も無かったですし。
C:
でも進路だけは漠然と音大に決めていた・・・。
A:
ええ(笑) 近くに兄の通っていた西条高校があったんですが、やんちゃな僕は片道45分かけて小松高校に自転車で通っていました(笑)。まあ、今思うと、ここでかなり肉体的にも忍耐的にも鍛えられましたね。なんせ毎日1時間半、結構猛スピードで自転車こいでましたから。
C:
いや~、秋川さんてバレーボールも含め、かなり体育会系な一面もあるんですね。
A:
今もそうですけど、基本的に身体を鍛えるのが好きなんですよ。当時は家でダンベルとボディビルの雑誌を買って、とにかく強くなりたい!ってひたすら鍛えてましたよ。一時は、将来自分は音大に進むと思いながらも、ボディビルの大会に出る事も真剣に考えてましたからね(笑)。
C:
エーーーーッ!!(爆笑)

音大・イタリア時代

C:
そんな様々な努力の結果!?念願の音楽大学に合格し、東京へ?
A:
そうですね。そこで大学院まで行き、その後イタリアに留学しました。
C:
イタリアにはどのくらい居たんですか?
A:
4年くらいです。
C:
4年!すごい長いですねぇ。あの~、初歩的な質問ですが、オペラとかって基本イタリア語なんですか?
A:
イタリアものとドイツものがあって、大学時代くらいにその方向性を見つけていくんですよ。イタリアは派手で情熱的、ドイツは緻密で計算されたまじめな音楽という特徴があって。まあ、自分はどう考えてもイタリアだなって(笑)
C:
なるほど。しかし、その留学時は、言葉の問題や喉を痛めてしまった事とか大変苦労されたと聞きましたが・・・。
A:
まあ色々ありましたが4年目に、扁桃腺の病気みたいなもので声が出なくなってしまい、それで帰国する事になったんですよ。
C:
じゃあ、その時は絶望感にかられての帰国だった?
A:
いや、むしろその時は日本に戻って手術をしたら治る!と信じ、どちらかというと希望を持って帰ってきたんですよ。
C:
なるほど。次に繋げるために・・・。
A:
はい。でも、どこの病院に行っても原因不明って言われて。
C:
それは素人でもわかるレベルで声が出なかったんですか?
A:
そうです。もう人前で歌える状態じゃなかったですね。それを2年くらいかけて原因を追求し、扁桃腺の手術を3回して、やっと元の声になったんですよ。
C:
それを聞くと、秋川さんの歌に賭ける情熱というか執念を感じますね。ちなみに、それまでの大学やイタリアでは、どんな勉強をしていたんですか?
A:
基本は歌のレッスンで、その他オペラの勉強をしたり、細かい専門的な事をひたすら。
C:
へ~、やっぱりそれだけ時間がかかるんですねぇ。
A:
ですね。でも結局、声楽の世界って、20代ではまだ声が出来上がらないんです、若すぎて。歌の20代は、野球選手でいうと高校野球レベルなんですよ。それから30代でようやく大学野球、40代でプロ野球、50代でちょうどいい感じ・・・みたいな。だから歌の世界というのはかなり遅咲きなんですよね。
C:
て事は、秋川さんは今が40歳。これから更に大きな花が開くんですね。秋川さんの花、規模デカ過ぎます!!(笑)

西条祭り

C:
ところで、そんな何事にも熱い秋川さんのルーツは、やはり地元・西条にあるそうで。
A:
そうですね。西条の人って熱くて荒っぽい性格の人が多いので、あれだけお祭りが盛んになっていったんですよ。僕にもやっぱりそういう西条魂が根付いているんだと思います。
C:
たしかに西条祭りは凄いですよね!だんじり(御輿の事)の数も日本一らしいですね。あのお祭りはいつ頃からあるんですか?
A:
祭り自体はもう、何百年前レベルですかね。地元の男は皆、よちよち歩きの頃からだんじりに付いて行って、小学生くらいから徐々に鐘や太鼓がさわれるようになって、大人になってようやく、だんじりを担げる様になるんですよ。
C:
なんか担げるようになる基準があるんですか?
A:
基準と言うか、まず単純に相当の力がないと持てないんですよ。
C:
え!あれってそんなに重いんですか!?
A:
一人手を抜いていたらすぐにわかりますね。力抜いている人がいたらだんじりがそっちの方向に傾いていくし。結構、力自慢みたいなところもあって。祭り終わったら、肩とかあざになっていますから。
C:
そんなにしてまで担ぎたいんですか!?(笑)
A:
そうです!西条では、カキフ(だんじりを担ぐ人)になるのが男の子の憧れなんですよ。だから皆早く大人になりたいんです。なんせ大人になる=だんじりのカキフになれるっていう事ですから。
C:
秋川さんの「初担ぎ」はいつだったんですか?
A:
高校生くらいのときでしたね。でも、明らかに足引っ張ってました(笑)
C:
何だか音楽に通じるものがありますね。若すぎてもまだ力が足りないというか。
A:
そうですね。体力だけじゃなく根性もいるんでね。なんせだんじり同士が鉢合わせしたら、肩がぶつかっただの足を踏んだの言って、乱闘が始まる場合もありますから(苦笑)
C:
ワオー。でも祭りに勝ち負けはないんですよね?
A:
別にないです。ただ、いかに綺麗にだんじりを担ぐかですね。まあ、いってしまったら、究極の自己満足ですね(笑)
C:
自己満・・・。 ちなみにそのお祭りはどれくらい続くんですか?
A:
交代しながら、10時間くらい。それを2日間寝ないで。寝る時は祭り中に道端で仮眠するんです。5分寝て、まただんじり動かして・・・みたいな。
C:
マジですか?ボロボロじゃないですか・・・。それを毎年ですか?
A:
ええ。僕もまだ幼少の頃から一度も欠かした事がありません!イタリア行っていた時すら帰ってましたから(笑)。
C:
へぇ~。なんかお話しを聞いていると、秋川さんは絶対阿波踊りもハマると思うんですよね。阿波踊りも、結構「根性」&「情熱」、そして「自己満」なんで。是非一度体感して頂きたいです。
A:
良いですね~。やっぱり究極の自己満足がお祭りの原点ですよね。それに1年に1回、そうやってストレスを全部発散する場所が人間には必要だと思うし、四国はそういうお祭りがホント盛んですよね。
C:
たしかに徳島の阿波踊り、高知のよさこい・・・。
A:
それって結局、四国人は燃えやすい民族って事です!
C:
間違いないです!(笑) それが秋川さんの音楽活動にも大きく影響しているんですよね?
A:
そうですね。祭りがなかったら、今の自分も無かったと思うくらい。これだけ祭りに没頭できる人間だからこそ、歌を歌った時に人一倍パワーを出せるんだと思います。
C:
それではこれからも四国人代表として世界にパワフルな歌を響かせて下さい!最後に秋川さんにとっての「故郷」とは、どんな所ですか?
A:
僕にとって故郷・愛媛は、人間形成の一番大事な基礎を、ほぼ全部作り上げた場所です。だからその故郷をプライドに持つ事は、今の自分にプライドを持てるという事だと思います。「故郷」っていうのは自分にとってのプライドです!
C:
いや~それはホントに、ボクも同感です!今日はホントありがとうございました。

こぼれ話1

C:
実はボク、秋川さんの事を前から知ってたんですよ。というのも、ボクは毎回CDリリースの度に四国キャンペーンをしているのですが、その時に秋川さんの事務所の社長に「愛媛県出身のアーティストがいて、今度CDを出すから、愛媛のラジオの人にPRしてくれない?」って言われたんですよ。それがまさに「千の風になって」だったんです!つまり、愛媛で初めてあの曲を聴かせたのは、僕だったんです!!
A:
ええ~~~~!そうだったんですか!?(笑)

こぼれ話2

C:
秋川さんの好きな食べ物は何ですか?
A:
ご飯に納豆、味噌汁が定番ですね。毎日1食は必ずこのセットを食べます。
C:
意外に日本人ですね~!では、逆に苦手な食べ物は?
A:
チーズが苦手ですね。
C:
えっ!?でも、イタリア行ってチーズがダメっていったら、日本で醤油がダメみたいなものじゃないですか。
A:
そうなんですよ。で、イタリアに行ったら克服できるかなとも思ったんですが、やっぱりダメでしたね・・・。そういや留学して間もない頃、自分が住んでいるアパートの2階の家族が差し入れを持ってきてくれたんですよ。それがなんとチーズで、「チーズは好きか?」って聞かれ、日本人の感覚からしたらその状況で「嫌いです」とは言えないじゃないですか。そこで「Yes!」って言ったもんだから、それから毎日届けてくれるようになって・・・、アレはきつかった~
(一同爆笑)
動画コメント

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