今回のゲストはお隣り香川県は高松市出身、テレビでお馴染みのタレント・女優の松本明子さん!
幼少時代・故郷の思い出から、家族にまつわる仰天エピソードまで、たっぷりと拡大版でお届け♪

故郷について

CO-KEY(以下C): 今日はよろしくお願いします。

松本明子さん(以下M): よろしくお願いします。

C:
松本さんは我が徳島の隣、香川県出身ということですが、何市出身でしょうか?
M:
高松なんです。CO-KEYさんは?
C:
僕は実家が脇町っていうところで、香川県と繋がっているんで、高松は空港なんかもよく利用してます。
M:
じゃあ、ホントお隣さんですね。
C:
そうですね。なので香川や高松の事は結構分かってるつもりなんですけど、今日はもう少しマニアックな事を聞けたらと思いつつ、香川の郷土料理なんかを用意させてもらいました。
M:
わ~、うどんだ~!
C:
まずは何と言っても香川と言えば讃岐うどんですよね。こっちが温かい肉玉のぶっかけで、こっちが冷たいぶっかけですね。
M:
わ~こんな肉うどんがあるんですね。昔はこういったのは近所になかったなぁ~。
C:
へぇ~、讃岐うどんも進化してるんですね。ちなみに徳島にも、たらいうどんていう名物があるんですが御存じですか?
M:
あ、たらいうどんなら私の住んでいた屋島の方にもありましたよ。
C:
えー、そうなんですか?てっきり徳島だけかと思ってました!
M:
はい、昔はたらいに入れてよく家族で食べていました。近いから文化が入り混じってるんですね。やっぱり徳島の人もそばよりうどんですよね?
C:
はい、ダントツうどん派ですね。おばあちゃんとかは毎日お昼はうどん食べたいって感じですね。
M:
もうファーストフード的な感じですよね。
C:
ホントそうです(笑) それでは、この器に入ってるのは?
M:
あ、これは醤油豆ですね!もうこれも定番で、必ずどこの家も常備していて、家庭のお通しみたいなものなんですよ。お茶受けでもご飯のおかずとしてもよく食べます。
C:
では、こっちの料理は?
M:
あ~、これは沢庵のきんぴら!これも懐かしいなぁ~。おふくろの味ですね。ちょっと油で炒めて、甘辛く味付けして、唐辛子を足してね。
C:
へ~、これは食べた事なかったです。あ、あとこれはあなごのお刺身らしいんですが・・・
M:
はいはい、「べえすけ」ですね。
C:
べえすけって言うんですか?
M:
ええ、アナゴの事を香川では「べえすけ」って言ったりするんです。徳島もあなごはよく食べますか?
C:
いや~、そんなに徳島で食べた記憶は無くて、お寿司でもウナギの方がポピュラーですね。
M:
へぇ~、香川は何でもアナゴなんですよ。特にアナゴの天ぷらは超定番で、丸ごと揚げてうどんにのっけたりもします。
C:
香川がウナギよりアナゴ派だって事は知らなかったですね。では、この他にも名物ってあります?
M:
そうですねぇ、骨付鳥のお店「一鶴(いっかく)」かなぁ?丸亀発祥なんですけど、今は高松や横浜にもあって、見た目的には、クリスマスのチキンみたいな感じですね。
C:
へぇ~、それは美味しそうですね。それにすだちをかけて食べてみたい・・・
M:
すだちいいですね~。我が家でも白米以外全てすだちをかけますね。親戚からダンボールで送ってもらっていて、もうすだちは欠かせないですよ。阿波踊りとすだちは徳島の名産です!
C:
あの~、誠にありがたいのですが、いつのまにか香川じゃなく徳島のPRになってます(笑)
M:
あら、そうでした・・・(笑)

幼少時代から芸能界へ

C:
それでは、次に松本さんの幼少時代についてお聞きしたいのですが、なんでもおじいさんが丸亀ボートとかでも有名な丸亀市の初代市長さんだったとか?
M:
はい、そうです。でも私が生まれ育ったのは高松の繁華街の近くで、その後、少し離れた屋島っていう地域に引っ越したので、イメージ的には丸亀ボートでなく、高松競輪です(笑)
C:
ハハハ。では、そんな高松で育った松本さんが芸能界に興味をもったのは?
M:
興味といいますか、もう3、4歳の頃から、母がピアノ・茶道・日本舞踊とかあらゆる習い事を習わされていたんですよ。母は元々宝塚に憧れていた人だったので、自分の夢を娘に託そうとしていたんですかね~。そんで父は父で、お酒が好きで、夜な夜な小さい私を連れて繁華街の飲み屋をハシゴして、歌を歌ってお小遣いを貰ったりしてましたね。
C:
へ~、じゃあ、物心ついた時には歌ってたんですか!?
M:
はい、渋い演歌を歌ってましたね。(笑)そのうちにスナックのママさんの勧めで、のど自慢に出たり、どこかに連れて行かれてはドレス着させられて、いつのまにか地元の広告やテレビCMに出たりして、大人達のおもちゃみたいでしたね(笑)
C:
それって今流行りのちびっ子タレントの走りですね(笑)。
M:
そうなんですよ。そこに自分の意志が入ってきたのは10歳を過ぎてからですね。
C:
お~、自ら芸能人になりたいと!?
M:
はい。時代的に山口百恵さんが全盛期で、それからピンクレディーや聖子ちゃんにのめり込んで、中学に入る頃には、私は東京で歌手になる為に生まれてきたんだって思いこんでました(笑)
C:
それはまたすごい思いこみですけど(笑)、それからどんな行動を?
M:
親が演歌が好きだったので、猪俣・・・高校生からしか出られないのど自慢大会に年をごまかして出場したりして、ビクターの方から声がかかったりもしました。
C:
じゃあ、それをきっかけに高校で上京を?
M:
いや~、結局どれも途中で話は途絶えたんですけど、自分はポップス歌手になりたいと思っていたので、芸能界目指すなら、東京の堀越(高校)に行くしかない!って(笑)
C:
親は許してくれたんですか?
M:
父親は猛反対でした。自分の目の届く地元でやってるのはいいけど、四国を離れて一人でってなると、当時は瀬戸大橋もなく、本州渡るのも船だし、東京まで片道6時間とかで、田舎の人からはもう異国に行く雰囲気でしたから。
C:
じゃあ、どうやってお父さんを説得したんですか?
M:
まぁ昭和初期生まれの両親でしたから、父の言うことは絶対で三歩下がって三つ指ついてというような母だったんですが、初めて母が父に反対して「アッコを東京に行かせてやってくれ」って。母が頑張ってくれなければ、東京へは行けなかったですね。後から親戚から聞いた話によると、あの時、母は離婚も覚悟で説得してくれたそうです。(苦笑)
C:
えーー!お母さんすごい決意で頑張ってくれたんですねぇ。それでようやく、芸能人の通う憧れの東京、堀越に進学出来たんですね。
M:
そうです。ただ、何も決まっていたわけじゃないので、芸能コースじゃなく普通科。しかもオーディションも落ちまくって、ようやくスター誕生に合格して、芸能コースに編入したんですけど、ある番組でやらかしちゃって、仕事もなくなり堀越で皆勤賞。全部通えちゃった。(笑)
C:
ハハハッ。ある番組とはあの伝説の事件(生放送中にある放送禁止用語を言ったら売れると言われ、意味も知らずに大声で発言)ですね(笑) やっぱりあの後は大変だったんですか?
M:
そりゃもう、仕事は全部キャンセルになりました。関西のラジオだけが面白がって使ってくれた以外、一年間仕事が無かったですね。
C:
その時やめようとは、ならなかったですか?
M:
それまでは、やっぱり四国から上京したからにはっていうすごく重いものがあって、錦を飾るまでは、ひと旗あげるまでは子供ながらに帰れないと思ってました。でもこの時ばかりはもう駄目だなって思って、実家に電話したんです。そしたら母が「高松に帰っておいで」って言ってくれると思って。そうしたら逆に「いいじゃん!いいじゃん!有名になれたんだから!」って笑い飛ばして励ましてくれたんですよ。それで前向きになれて、そこからバラエティでも何でもやっちゃおうって気になれたんです。
C:
それがあって今に通じるバラエティタレントとしての道が始まったんですね。
M:
そうです。夜な夜な布団かぶってモノマネの練習したり、お笑い番組で変装したり・・・。それで25歳の時、デビュー8年目でやっと「DAISUKI」や「電波少年」とか、レギュラー番組を持てたんです。
C:
思わぬ事で道が開けたんですね。
M:
いや~、ホント母の言葉に救われましたねぇ。

結婚から子育て

C:
さて、そんな松本さんも、今はご結婚され、お子さんもでき、ご自身も母親となったわけですが、旦那さまとはどうやって出会われたのですか?
M:
主人(俳優の本宮泰風さん)は、もともと共演していた俳優さん(原田龍二さん)の弟なんですけど。たまたまドラマの現場に連れて来て、終わって一緒にお茶してたんですが、原田さんはすぐ帰っちゃって。それで二人で喋ってる内に話の流れで「ウチに来る?」みたいになり、ウチの両親と一緒にご飯食べたりしてたら、今度は主人が「ウチにも来ます?」みたいになって主人の実家に行って。そうこうしてる内にお互いの親同士は、連れてきて紹介するって事はもう結婚すると思ったらしく、流れで・・・
C:
えっ、出会ったその日に!?
M:
はい。それで親の勘違いも含め結納的なものが初日に終わり・・・
C:
それホントの話ですかー!?(笑)
M:
ホントです。だから恋愛する前に両家の顔合わせを済ませ、そこから恋愛スタートしました(笑) 今思うと運命だったんですかね~
C:
いや、運命を越えて奇跡です!(笑) で、その奇跡から授かったお子さんは今おいくつですか?
M:
10歳ですね。
C:
なるほど~。では、読者には主婦の方も多いので、子育てにおいて何かアドバイスありますか?
M:
もう最初はいい母親でなければならない、正しい親にならなきゃっていうプレッシャーがあったんですけど、それは浅いというか何の効力も無かったって10年経った今は思いますね。
C:
では自然体がいいと・・・
M:
そう、自然体がいいんだと思います。最初は自分の親みたいにって、良かれと思って色々習わせようとしたんですけど、子供に「僕の人生をママに決められたくない!指図・・」ってキレられて、すごいショックで落ち込んだんです。でも、その時、親の理想と子供の現実は違うんだなって思って、自然体になりましたね。親としての務めは、この子を愛することだけでいいんだって。それで子供も楽になったみたいですね。
C:
想いが伝わったんですかね。
M:
うん、メキメキ自分のことは自分でするようになって、強くなりましたね。こういった事も子育てしなきゃわからなかった事ですよね。
マネージャー:
お子さん本当にしっかりしてるんですよ!大人の中で育ったせいもあるんでしょうけど、すごく気遣いが出来るお子さんなんです!
M:
特技は空気読むこと(笑)
C:
アハハハ。それ大人でもなかなか出来ませんよ(笑) なんかお子さんのエピソードあります?
M:
子供が小学1年になったある時、旦那と私の帰る時間がどうしても合わなくて、1時間だけ子供と母だけの時間があったんですけど、その時母が倒れたんですよ。
C:
えっ、大変!それでどうしたんですか!?
M:
そしたら息子が冷静に救急車を呼んで、その次に私たちに連絡をくれて「僕は救急車に乗って行くから、○○病院だよ」って・・・。
C:
え~っ!どんだけ成熟した子供ですか!
M:
ねぇ(笑)
C:
さすが奇跡の子!!
M:
アハハハーー(笑)
C:
それでは最後に聞かせて下さい。そんなママさんタレントとしても活躍されている松本明子さんにとって故郷・香川とは?
M:
原点ですよね。上京して30年たった今でも、高松に帰って、その空気とか匂いをかぐと夢を追いかけてたなぁと10代を思い出し、初心に戻れる場所。松本明子を作った所、製造元って感じですかね。
C:
故郷は「製造元」良いですねぇ。
M:
いや〜今は両親も他界し、実家は誰も住んでいないんですけど、仕事とかお墓参りとか年に数回はかならず帰っちゃいますね。
C:
小さい頃のスナックがまだやってるんですか?
M:
そうなんです。もう35周年ぐらいですよ。高松に帰ると、翌日の仕事の打合せとかをそのスナックでやったりしてます(笑)
C:
そうやって今も関係が続いてるのって素敵ですね。本日はお会いできて楽しかったです。ありがとうございました!
M:
ありがとうございました!

ーーー 対談はここで一端終了したものの、二人の四国談義は盛り上がり、乾杯の後、更にここから宴は続いたのでした・・・<完>

動画コメント

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