今号のゲストは、役者・タレントとしても大活躍中の上地雄輔こと、アーティストの遊助さん!
今回は故郷・横須賀の話から、知られざる半生と様々な秘話満載の対談をスタジオからお届け♪

故郷について

CO-KEY(以下C): 久しぶり~!今日はヨロシクね。

遊助(以下Y): ヨロシク~!!

C:
では早速、まずユウスケの故郷・神奈川県は、横須賀市の事を色々聞きたいんだけど、横須賀といえばコレっていうのは何かある?
Y:
やっぱり横須賀といえば、米軍基地かな。中にも入った事あるけど、めちゃめちゃ広いよ!もう、ちょっとした街っていうか、市みたいな感じ。しかも外国人だらけだし、本当に外国にいるみたい。
C:
それって、一般の人も中に入れるの?
Y:
うん、年に何回か開放日があったりするからね。
C:
それは一回入ってみたくなるね。では、その他には?
Y:
そういうのだと、横須賀は米軍だけじゃなくて、日本の陸上・海上自衛隊もあるし、防衛大学もあるね。
C:
あ~、そうだよね。そこで生まれた「よこすか海軍カレー」も有名だもんね。
Y:
そうだね。地元の人間からするとそんなにカレー有名だったか?ってあるけど(笑)、最近は人気だね。
C:
じゃあ、他にはオススメスポットとかある?
Y:
それだと、海や山に囲まれてるから海岸もあるし、景色の良いハイキングコースや公園も沢山あるね。あと「どぶ板通り」は昔から有名だね。
C:
どぶ板通り!?そこには何かあるの?
Y:
「どぶ板通り商店街」っていうのが昔からあって、日本とアメリカが一緒になったような独特の雰囲気がある商店街で、そこで生まれた服が「横須賀ジャンパー」の略「スカジャン」だね。
C:
へ~~、そこが発祥の地なんだ!それは凄い名物だね。でもなんで横須賀で生まれたんだろう?
Y:
もともと米軍の人たちが自分のジャケットに和風の刺繍を入れて、お土産にしたのが発端みたい。
C:
あ~、だから英語でスカジャンの事を「スーベニア(お土産)ジャケット」って言うんだね。
Y:
多分そう。今の話、トリビアとして入れといてね(笑)
C:
だね~(笑) あと、聞くところによると横須賀は、出身の有名人も多いとか・・・
Y:
それはホント多い!人口40万ぐらいの市なのに、あげればキリないぐらいいっぱいいるね。
C:
例えば?
Y:
元首相の小泉純一郎さんをはじめ、X JAPANのhideさん、山口百恵さん、元モーニング娘。の石川梨華ちゃん、東原亜希ちゃんもそうだし、ネプチューンのホリケンさんも隣の中学出身だね。あと、昔から知ってる友達が芸能人になったのも多くて、幼馴染のこーちゃん(小泉孝太郎)はもちろん、窪塚洋介もそうだし、EXILEのTETSUYAとKENCHIの2人は、地元でダンスやってたから、羞恥心の時にダンサーとして来てもらったりしたし・・・
C:
ちょ、ちょっと、横須賀、著名人輩出し過ぎ!!(笑)

野球少年時代

C:
では、次に少年時代の話を聞きたいんだけど、ユウスケといえば野球ってイメージが強いんだけど、野球に興味を持ったのはいつごろ?
Y:
自分でもやりたいって思ったのは阪神が優勝した6歳の時かな。もともと両親が大の野球ファンで、特に母方のおじいちゃんが社会人野球で結構有名な選手だったから、母親はすっごい野球好きで、熱烈な阪神ファンだったんだよね。それで阪神ファンを植え付けられて(笑)、試合をよく観させられてるうちにかな。
C:
あの、伝説の86年、バックスクリーン三連発の阪神黄金時代だ!
Y:
そうそう、掛布、バース、岡田のね。
C:
その頃はウチの故郷・徳島も、池田高校が強かったし、オレも野球ハマったな~。
Y:
池田高校は自分もお母さんも好きだったな。お母さんは甲子園までよく観に行ったりしてたもん。
C:
そんなお母さんの影響もあって、自分でも野球を始めたわけだ。
Y:
そう。でもその当時はまだ小一だったから、最初は「野球やりたい!」って言っても、親は「はい、はい」って流してたみたいなんだけど、一週間泣き続けて、そこまで言うならって、地元のチームに球拾いで入れてもらったみたい。
C:
でも、実際入ってみたら練習はキツかったんじゃないの?
Y:
それが、球拾いが楽しくて楽しくて(笑) そのチームのユニフォームが本当は青なんだけど、小さい子用が無くて、一人だけ「みにくいアヒルの子」みたいに、今のラッキーカラーと一緒の黄色のユニフォーム着て、皆の後ろにくっついて走ってた(笑)
C:
ハハハッ!けど、そこからみるみる頭角を現して、選抜チームのメンバーに選ばれたんだよね?
Y:
うん、横須賀市全チームのジュニアオールスター大会に一人だけ小4で選ばれて、小5で横須賀市選抜に選ばれた。
C:
その時のポジションは?
Y:
小四の時はサード、小五はキャッチャー、小六でピッチャー。本当は六年生でもキャッチャーやりたかったんだけど、身長が174センチあったから、皆より頭一個以上大きくて、投げるとほとんど三振とれて、ピッチャーやらされた(笑)
C:
スゲー!!それで、中学時代は?
Y:
中学は、憧れてた地元の強豪クラブチームにスカウトされて、チーム史上初の中一からレギュラーになって、全国の代表にも選ばれたね。
C:
そうなると高校も色んな学校からスカウトが来たと思うんだけど、どうして横浜高校を選んだの?
Y:
最初は違う高校に進学しようと思ってたんだけど、中三の時たまたま観てた試合で投げてた横浜高校の一年生のピッチャーが凄くて、その人の球を受けたいって思ったのと、学校側に「君の為にキャッチャーのポジション空けてるから!」って勧誘されて横浜高校を選んだ(笑)
C:
とはいっても、名門・横浜高校野球部って言ったら相当部員数もいたんじゃない?
Y:
100人くらいかな。
C:
100人!?その部員の中には、現在メジャーリーグでも活躍中の松坂投手とかもいたわけだよね?
Y:
いたね~、一学年下に。
C:
やっぱり当時から凄かった!?
Y:
それよく聞かれるけど、まだあいつは一年生だったし、「自分が高一の時に受けた三年のエースの球の方が凄かったです」って答えちゃうよね(笑)
Y:
そりゃそうか(笑) それにしても、そんな凄い選手が集まる学校でレギュラーとして活躍し、松坂投手とバッテリー組んだり、後にプロとして活躍する選手達と一緒にプレーしてて、本気でプロを目指さなかったの?
Y:
もちろん、小さい時からプロ野球選手になるのは夢だったし、野球は大好きだったんだけど、高二の時に大怪我した事もあって、本当は大学とかからもお話は頂いてたみたいなんだけど、監督に「もう一回原点に戻って、ゼロから考え直したいんで、一度野球を辞めます」って話をしたんだよね。
C:
そっか~、色々悩んだ結果の決断だったんだね。

第二の人生

C:
では、そんな野球一筋の人生から今度はまた、何で芸能界の道へ進もうと?
Y:
たまたま東京に買い物行ってる時にスカウトされたのがきっかけ。
C:
野球だけじゃなく、よくスカウトされるね~(笑) それで最初の仕事は何だったの?
Y:
一番最初は、初めて受けたオーディションにいきなり受かっちゃって、それがTBSの連ドラだった。
C:
お~、幸先良いスタートだね。それが何年ごろ?
Y:
99年ぐらい。それで、少し表に出始めた頃に、後輩の松坂が有名なって、「あの松坂のキャッチャーが芸能界にいる!」みたいに取り上げられたりして・・・
C:
そのネタでまた注目を浴びたんだ?
Y:
そう、何で松坂のネタばっかりだよ!あいつがオレの後輩だぞ!って思いつつ(笑)
C:
で、その後は・・・
Y:
それが全然仕事はないし、マネージャーから連絡すらないし、逆に電話しても「今忙しいから」って電話切られるし、ひどい年にはマネージャーと話したのが3,4回だったね(笑)
C:
暗黒の下積み時代だね(笑) それでどうしたの?
Y:
おもしれーじゃねーか!絶対この逆境乗り越えてやる!って思って、お金もないし、役者の勉強にもなると思って、色んなバイトして、色んな人に会ったりしつつ、それだけじゃ駄目だと思って、まずはマネージャーの目をオレに向けさせる所からスタートしようと思って、オーディションだけでいいから、「とにかくチャンスをくれ!絶対モノにするから!」と頼みまくったね。
C:
正直、その頃は結構辛かったんじゃない?
Y:
でも楽しかったよ。いつも何の根拠もないけど凄く自信だけはあったし、辛い時も支えてくれる友達や仲間だけは沢山いたからね。
C:
そのどんな状況でも、常に前向きな姿勢が仕事に繋がっていったんだね。
Y:
そうだね。それで20代半ばくらいから徐々にドラマの出演が決まり出して。役柄も「生徒A」とかから、役名がちゃんとあって、セリフや出番もちょっとづつ増えていったね。
C:
そして役者として名前が売れ出した頃、今度はクイズ番組「ヘキサゴン」の出演で、音楽ユニット「羞恥心」も生まれ、一気にタレントとしてもブレイクするワケだけど・・・
Y:
あれも最初は自分の出演しているドラマの宣伝で出たんだけど、マネージャーに「今日は番組喰っちゃうから!」って宣言してたんだよね、また何の根拠もなかったんだけど(笑)
C:
その根拠のない自信が、あの天然おバカキャラを生み出したんだ!?(笑)
Y:
そうかも(笑) ていうか、自分でも空気読んで狙ってるのか、本気で言ってるのかわからない時があって・・・、まぁもちろん本当に「バカ」ではあるんだけどね(笑)だから本能のままで行けば大丈夫って思ってたんだろうね、根拠はないけど(笑)
C:
恐るべし、ユウスケの根拠なき自信!!(笑)

歌手「遊助」の誕生

C:
さて、役者・タレント、そして「羞恥心」での音楽活動から、いよいよソロシンガー「遊助」としてデビューするワケだけど、それはどうゆう経緯で?
Y:
ヘキサゴンファミリーで、代々木体育館でライブイベントをやることになって、せっかく出演するなら、今まで応援してくれた人や共演者の皆、それとお世話になった人達にサプライズで何かしたかったんだよね。それで、羞恥心のメンバー三人が、それぞれカラオケで一曲づつ歌うって事になってたから、オリジナルの曲を歌いたいと思って、親友のN.O.B.Bこと、ノブ君(現在、遊助のライブDJ・遊助楽曲を多数手掛けるプロデューサー)に「絶対いつか恩返しするからオレの為に曲を作ってくれ!」って頼んだんだよね。
C:
なるほど~。それは皆には内緒だったの?
Y:
そう。実はその当時、オレ、仕事以外では外出禁止、カーテンも開けるなって言われてたから、一回ウチに帰ったふりして、ベランダから抜け出して、N.O.B.B君たちとスタジオで合流してレコーディングしてたんだよね(笑)
C:
そんな苦労の末に完成し、後にソロデビュー曲となる「ひまわり」を当日歌って、まわりの反応はどうだった?
Y:
泣いて聴いてくれた人とかもいたから「ああ、よかったな~」って思ってたら、レコード会社からソロでやらないかって話になって、今に至る感じだね。
C:
そっか~。かつて野球で甲子園やプロを目指した夢は怪我で断念したけど、音楽の甲子園とも言える紅白に出場し、プロ野球が行われる地元、横浜スタジアムでも3万人のワンマンライブを成功して、形は違うけど遂に夢を叶えたんだね。
Y:
そうだね。ホント皆の応援があったから今の自分があるし、これからも皆がもっと笑顔になれるように歌って行きたいね。
C:
それでは最後に、そんな上地雄輔にとっての故郷とは?
Y:
う~ん、「知り合いの披露宴」みたいな感じかな。気は使うし、長くはいれないんだけど、家族や友達も皆いるし、酒も美味いし、なんか落ち着くみたいな。ハッピーなパワーも貰えて、自分を奮起させてくれる場所だね。
C:
なるほど。今日はありがとう、また一緒に飲もうね!
Y:
ノブ君も呼んで、飲もう飲もう!(笑)
動画コメント

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